今から一年前の2006年4月20日。
北海道では唯一の第3セクター鉄道だった、北海道ちほく高原鉄道・ふるさと銀河線に最後の列車が走った日です。
ふるさと銀河線は自分にとって特別な路線でした。
かつては「国鉄池北(ちほく)線」と呼ばれ、実家からはその線路を行き交う列車を見ることが出来ました。両親がどちらも鉄道とは無縁だった自分がいつの間にか「鉄ちゃん」に目覚めていたのも、この恵まれた(?)環境があったからに他なりません。
しかし、池北線は利用者の減少が続き、国鉄再建法により廃止対象路線となってしまいます。国鉄からJRへの移行を経て、自分がK市の高校へ「汽車通」をしていた最中に池北線は第3セクターの北海道ちほく高原鉄道に引き継がれましたが、その後も沿線の過疎化と少子化には歯止めがかからず、厳しい経営が続きました。高速道路が足寄・本別まで到達したほか、K市の商圏が列車でのアクセスが困難な郊外に移った影響も少なからずあったと思われます。
ここでふるさと銀河線の思い出を振り返りつつ、自分で気に入っている写真の中から何枚かお目にかけたいと思います。
最も印象に残っているのが2001年7〜8月にかけ運転された「SL銀河号」。当初使われる予定だったC11-207号機が不調で、急遽171号機に変わるというハプニングがありましたが、煙を吐いて走るSLの姿が実家の窓から見えた時は本当に感激したものです。
2001.07.28 試9701レ「SL銀河号(試運転)」 ふるさと銀河線・訓子府駅にて
EOS IX E(APS)+EF24-85mm F3.5-4.5 USM FUJI nexia 200
「銀河オホーツク号で行く旧網走本線の旅」と銘打った札幌発着のツアー。池北線は元々「網走本線」として池田〜野付牛(現・北見)〜網走間が開業し、後に北見〜網走間を石北本線に譲ったという経緯があり、そのルートを国鉄色のキハ183系で辿るというものでした。
2002.10.13 ふるさと銀河線・置戸駅にて
【左】9704D「銀河オホーツク」
【右】747D
EOS IX E(APS)+EF24-85mm F3.5-4.5 USM FUJI nexia 200
線路の状態を調べるため運転された「マヤ検」。JR北海道から借りた高速軌道試験車・マヤ34を2両のCR70/75がプッシュプル牽引し、「銀河鉄道999」のラッピング車両が2002年11月に登場してからは毎回マヤ検の牽引に充当されて人気を集めました。
2003.05.11 試9715D 北見駅にて
EOS IX E(APS)+EF24-85mm F3.5-4.5 USM FUJI nexia 200
初夏の風物詩、じゃがいもの花。
2003.07.06 753D ふるさと銀河線・訓子府駅〜穂波駅にて
EOS IX E(APS)+EF24-85mm F3.5-4.5 USM FUJI nexia 200
ふるさと銀河線は利別川を何度も渡るため、鉄橋の多い路線でした。
2003.09.21 713D ふるさと銀河線・分線駅〜川上駅にて
EOS IX E(APS)+EF24-85mm F3.5-4.5 USM Konica centuria200
札幌の鉄道用品販売店が企画した、キハ400お座敷車によるツアー。特製の大型ヘッドマークもさることながら、何と言っても一番のサプライズはこの並びでした。恐らく最初で最後だったのではないでしょうか。
2004.03.28 北見駅にて
【左から順に】
13D「オホーツク3号」・9701D・714D・16D「オホーツク6号」
EOS IX E(APS)+EF75-300mm F4-5.6 IS USM FUJI nexia 200
臨時快速「銀河」。廃止まで一年を切った頃から団臨が増え始めます。
2005.06.12 9701D ふるさと銀河線・上利別駅にて
COOLPIX SQ
この列車は所定編成が2両で、前の車両は池田へ直通、後ろの車両は置戸で切り離されて北見に戻りますが、この日は団体用に3両増結されて置戸まで堂々の5両編成で運転されました。
2005.10.02 712D ふるさと銀河線・置戸駅にて
COOLPIX SQ
棒線駅のバルブ撮影ではよく露光が間に合わず失敗しました。
2006.04.19 715D ふるさと銀河線・豊住駅にて
EOS 7s+EF28-135mm F3.5-5.6 IS USM FUJICHROME PROVIA 100F
いよいよ最後の日が来てしまいました。
2006.04.20 750D 北見駅にて
FinePix F11
当日はふるさと銀河線の廃止を惜しむような涙雨。
2006.04.20 752D ふるさと銀河線・訓子府駅にて
EOS 7s+EF28-135mm F3.5-5.6 IS USM FUJICHROME PROVIA 100F
自分はこの後も訓子府駅に残り、この列車が置戸で折り返して戻ってくる北見行き757Dを待つことにしました。このレールの上を走る最後の列車です。
明日からはもう、列車はやって来ません。
多くの人々が愛惜の瞳で見守る中、757Dは長い長いホイッスルを吹鳴して雨のプラットホームを後にします。自分は757Dを見送った後、北見駅に向かおうとクルマに乗り込みました。しかし、ドアを閉めた途端に涙が‥‥。
そのままハンドルに突っ伏して、声を上げて泣きました。
それでも何とかクルマを走らせ、北見駅へ。757Dが到着した2番ホームではささやかなお別れセレモニーが行われ、運転士さんには花束が贈られました。
2006.04.20 757D 北見駅にて
FinePix F11
しかし、その傍らでは駅名標を(ふるさと銀河線の表記のないものに)掛け替える作業が既に行われており、ふるさと銀河線内各駅の駅名標も最終列車通過後に一斉に撤去されたようです。
券売機もご覧の通り。
「廃止」の二文字がどうしても信じられないまま、日付は変わって4月21日。
2006.04.21 訓子府にて
FinePix F11
遮断機や警報機までが跡形もなく撤去された踏切。駅名標が外されたホーム。そこには否応なしに「廃止」の現実を受け入れざるを得ない光景がありました。
ありがとう、そしてさようなら、池北線・ふるさと銀河線‥‥。
最後までご覧頂きありがとうございました。m(_ _)m